月: 2021年11月

ユニークな経営をしていた

■ホワイトボードが多く設置されている

2005年に梶原吉広はグローバルメディアソリューションという会社を設立しました。最初は梶原吉広を含めて3人で会社の経営を行っており、6年後には150人にまで増えていたと言います。そんな梶原吉広が社長を務めていたグローバルメディアソリューションでは、少々ユニークな経営をしていたことで知られています。その1つがホワイトボードをたくさん設置していたということです。ホワイトボードは簡単に移動ができますし、文字を消すのも簡単なので、会議などでもよく使用されているツールだと言えるでしょう。そんなホワイトボードをたくさん設置していた理由は、他の部署の様子もきちんと把握できるようにという理由だそうです。部署ごとに異なる仕事をしているとは言っても、同じ物を作っているので、他の部署のこともきちんと把握していなければいけないというのが梶原吉広の経営方針だと言えるでしょう。

■写真付きで社員の座席を全て明記してある

梶原吉広が運営していたグローバルメディアソリューション、のちの株式会社gloopsでは、ホワイトボードがたくさん設置されていることを前項で明記しました。そのホワイトボードの中には、社員がどこの座席に座っているのかを簡単に把握できるように、ホワイトボードに記載されているといいます。ただ座席の場所に名前が書かれているだけではなく、社員の顔写真も同時に記載してあるそうです。なぜ梶原吉広は写真付きの座席表を記載しているのかというと、新入社員でも先輩や上司の顔をすぐに覚えられるようにしていると言います。当時梶原吉広が運営していた会社はどんどん社員数が増えていて、毎月のように新しい社員が入社していたそうです。そのため、少しでも早く顔と名前を覚えるために工夫をしていたのでしょう。

■ホワイトボードにはイラストも多数描かれている

会社にあるホワイトボードは、通常連絡事項や会議の内容などを文字や図などで書いてあることが多いでしょう。しかし、梶原吉広の場合は少々異なるそうです。もちろん文字や図で書かれている内容もあるでしょうが、イラストが多いというのが特徴だといいます。何でイラストが多く書かれているのかというと、梶原吉広が運営していた会社では、大熱狂プロ野球カードなどのゲームを中心に、カードを使ったゲームなども多くあるとのこと。カードと言えばイラストは欠かせないので、ホワイトボードにはたくさんのイラストが描かれているということだそうです。社内も他の会社とは一線を画す個性的なところであることがわかります。

ソーシャルゲームの管理は大変

■24時間体制で管理をしていた

梶原吉広は会社を設立してすぐにソーシャルゲームの提供を行う仕事に舵を切ったそうです。しかし、ソーシャルゲームの管理というのはとても大変な仕事だといいます。梶原吉広が最初に提供したソーシャルゲームは渋谷クエストですが、短い期間で会員数が30万人を超えたそうです。ただでさえ大変な管理はさらに大変になり、サーバーダウンすることもあったと言います。サーバーダウンしたときは、梶原吉広をはじめとした社員が手動でアップを繰り返し行っていたようです。そのため、梶原吉広自身も仕事に加わり、寝る間も惜しんで仕事をすることも日常茶飯事だったといいます。このようにソーシャルゲームの管理を行う仕事をソーシャルゲームプランナーと呼びます。仕事内容は多岐に亘っており、企画の立案からゲームの設計、進行や工程の管理などたくさん存在するそうです。

■人数を大幅に増やす必要があった

梶原吉広は当初3人で広告代理店の仕事を行っていたそうです。その後SNSの運営からソーシャルゲームの提供へと変更しましたが、最初のソーシャルゲームである渋谷クエストをモバゲータウンでリリースしたときは、僅か10人しかいませんでした。最初は10人でソーシャルゲームの管理を行っていたので、梶原吉広もかなり苦労することとなり、社員を大幅に増やしたといいます。2011年9月の時点で、社員は150人になっていたというので、かなりのハイペースで増員していると言えます。渋谷クエストをリリースしたのが2010年3月なので、1年半で15倍増えていることになります。それだけソーシャルゲームの管理は大変なので、たくさんの人手が必要になるでしょう。

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■重要な人材の確保

ソーシャルゲームのリリースや管理を行うためには、ソーシャルゲームプランナーの存在が必要不可欠だといいます。梶原吉広もソーシャルゲームプランナーとしてやっていけるだけのスキルは当然身につけていたでしょう。しかし、社員もそれ相応の技術を持っていなければ仕事ができません。そこで梶原吉広は、論理的な思考を持っている人と、誰もが思いつかないおもしろい発想ができる人を求めていたそうです。この両方を持っている人材の確保が望ましいと考える人もいるでしょうが、梶原吉広は両方を持ち合わせている人は少ないので、どちらか片方でも持っていればよいという考えで人材を増やしていったといいます。高い技術力が必要になる業種の中でも、梶原吉広は技術だけにとらわれずに人材の確保を行ったからこそ、短期間で多くの人が集まってきたのでしょう。

スポーツが好きだった

■定期的に筋トレも行っている

梶原吉広はスポーツが好きで、観戦も自らスポーツを行うこともありました。
また、筋トレも動画を見ながら行っていると言います。最初は腹筋を割るためにトレーニングを続けており、フロントブリッジやレッグレイズ、ニートゥチェストやクランチなどがメインとのこと。普段あまり使うことがない筋肉を鍛えることを意識して行っていたと言いますが、やはり普段使用する筋肉を鍛えるのとは違い、筋トレを行うのはきついと梶原吉広は話しています。腹筋を鍛えると、今度は猫背にならないように背筋を鍛え、さらに見た目をかっこよくするために、胸板を厚くするトレーニングも行っていたそうです。スポーツジムに通ってトレーニングをする人が多い中で、梶原吉広はスポーツジムにも通わず、トレーニング器具も使用しないで行っていたといいます。

■特に好きなのは高校野球

梶原吉広はスポーツ全般が好きだったようですが、そんな中でも野球が好きだと話しています。梶原吉広は自分が設立した会社で、ソーシャルゲームの提供を行っています。その中でも格闘ゲームが多いのですが、野球関連のゲームも提供しているのです。それは梶原吉広が野球好きだったというのも理由の1つでしょう。野球と言えばプロ野球や大学野球などがありますが、高校野球が好きだったといいます。その理由は一生懸命さがひしひしと伝わってくる、ハラハラさせてくれるし胸が熱くなるからだと言います。しかし、梶原吉広は実際に甲子園に行って応援したことはないらしいのですが、高校野球はテレビでも放送しているので、どこにいても見ることができます。特定の高校を応援しているというわけでもなく、どこが勝ってもうれしいですし、どこが負けても悲しくなる特別なスポーツだという話をしています。

■いろいろなスポーツの勉強もしていた

現在スポーツはたくさん存在していますが、梶原吉広はどのスポーツも好きだったといいます。そのため、いろいろなスポーツの勉強も行っているようです。現在では書籍やインターネットでもスポーツのルールや歴史を知ることができるので、かなり便利な時代になっています。梶原吉広は自分のブログでスポーツに関する日記のような記事を投稿していますし、簡単な歴史にも触れているようです。スポーツのルールを勉強するだけなら多くの人が行っていますが、歴史にも触れているということは、かなりスポーツが好きなことがわかります。梶原吉広は野球やサッカー、ラグビーのような球技だけではなく、柔道などの格闘技にも触れているそうです。

現在は奥さんとシンガポール暮らし

■結婚後すぐにシンガポールへと移住している

梶原吉広は会社の経営を日本で行っていましたが、現在ではシンガポールで暮らしているといいます。いつ頃から梶原吉広がシンガポールで暮らしているのかというと、2014年からだそうです。2014年というのは、梶原吉広と芸能人の山本梓が結婚をした年です。結婚後シンガポールで出産をしていたことから、結婚をしてすぐにシンガポールに移住をしたことになります。当時は梶原吉広がまだ会社を経営していたようですが、当時は代表取締役社長という立場ではなく、代表取締役会長という立場だったそうです。そのため、社長に経営を任せてシンガポールで暮らしていたのでしょう。

■シンガポールでの生活

シンガポールは観光が盛んなところであると同時に、日本人が多く生活をしているところでもあります。
しかも定年退職をした日本人が移住することが多いと言われているのです。なぜ梶原吉広がシンガポールを移住先に選んだのかというと、出産設備が充実していることや、税金が安いことなどが挙げられるでしょう。梶原吉広の奥さんである山本梓は、結婚後シンガポールで出産をしているので、奥さんのことを考えてシンガポールでの生活を選んだ可能性もあるでしょう。日本も出産設備は充実していますが、やはり物価が高いですし、何より税金大国なので、誰でも多額の税金を取られてしまいます。シンガポールは税金も安く、金融業の規制も緩いと言われているので、多くの裕福層や投資家が移住しているのも特徴です。現在梶原吉広が設立した会社は吸収合併されて存在していませんし、持ち株は売却しているので、かなりの資産があるのではないでしょうか。だからこそシンガポールで資産家として第二の人生を送っているのでしょう。

■奥さんは芸能活動を休止している

梶原吉広は株を売って悠々自適な生活を送っていますが、奥さんの山本梓はなにをしているのかというと、現在は芸能活動を休止していると言います。山本梓はグラビアモデルとして人気があった人で、多くのファンがいました。結婚と出産を経た後も、シンガポールと日本を行き来してしばらくは仕事をしていたようです。2014年までは写真集を出していたようですが、その後は写真集もDVDも出していないので、仕事をしていたとしてもかなり制限していたのでしょう。いつごろから仕事を休止しているのかはわかりませんが、現在ではシンガポールで生活をしているそうです。仕事をいつから開催するのか、このまま仕事はしないで生活をしていくのかも記述がないので不明ですが、子供がもっと大きくなったらまた復帰する可能性も考えられるでしょう。

三国志のゲームも提供していた

■三国志は日本でも知名度が高い

梶原吉広が提供していたゲームと言えば、最初に提供した渋谷クエストや大乱闘シリーズがよく知られています。それだけではなく、梶原吉広は大戦乱三国志バトルというゲームも提供しています。三国志というのは日本でもかなり知名度が高く、魏、呉、蜀という3つの国が同じ時代に中国に存在していた時代のことです。日本では小説でもよく知られているだけではなく、ゲームや漫画などもあります。そんな三国志関連のゲームにも梶原吉広は携わっていたといいます。三国志ゲームと言えば、シミュレーションゲームや無双系のゲームが有名ですが、梶原吉広が提供していた大戦乱三国志バトルは、レベルを上げてデッキを強化していくゲームとなっているそうです。

■いろいろな要素が組み込まれている

梶原吉広が提供していた大戦乱三国志バトルには、いろいろな要素が含まれているようです。まずは外交ですが、外交ではカードの編成枚数を増やすことが重要だといいます。そのためには任務をこなして経験を積んでいき、デッキを強化する必要が出てくるそうです。自分の国を強化するためには、内政も大切になるといいます。内政では施設の建設や施設の強化を行っていくそうです。さらに武将や軍師などの人材を確保し、デッキを強化しなければ戦いで勝つことができないとのこと。富国強兵をしっかりと行い、戦闘で勝利を重ねていくことが重要なゲームだそうです。シミュレーションゲームに負けないぐらいたくさんの要素が組み込まれているゲームですが、人気だったのはゲームの内容がよかったからだけではないようです。梶原吉広は有名なイラストレーターや漫画家とも協力したので、武将のイラストも人気が高かったといいます。

■イラストギャラリーも人気が高い

ソーシャルゲームは内容も大切ですが、デザインも重要だといいます。梶原吉広は三国志に登場する武将や軍師のイラストにも力を入れており、インターネット上では画廊ページが公開されています。公式画集も出ていることから、武将や軍師のイラストも人気が高いということがわかるでしょう。イラストは1人で担当していたのではなく、たくさんのイラストレーターや漫画家が担当しているので、公式画集を見ると、キャラごとに個性が異なっているのです。三国志には多くの人が知っている有名な人物もたくさんいますが、一目見ればわかるイラストもありますし、名前を確認したいと特定が難しいイラストもあるといいます。個性あふれるイラストを用いようと考えた梶原吉広の作戦は見事に成功し、大戦乱三国志バトルはヒット作品となったそうです。